2016年6月23日木曜日

益城町 波状の亀裂が地表に出現 不思議な現象

4月22日 益城町の寺迫り近くの地図 地震後1週間


秋津川近くの小さなこどもの公園が住宅街の終点にあり。 そこに地震の面白い現象が現れていた。 地震学者は見つけてくれただろうか?


この地区は住宅街を地割れが走っていた。 道路も住宅敷地内にも。 そして多くの家屋がダメージをうけていた。 勿論電柱も。 住民の肩に聞いてみた。 最初の4月14日の地震でコーナーの電柱は傾いたので、電力会社の方がその日のうちに電柱を元に戻し、支えの楔とワイアーを張った。 しかし2日後の地震で再度電柱が傾き打ち込んだ楔は抜けてしまった。


住宅内やいたるところに無数の亀裂、地割れが確認できた。 道路にできた地割れ


無数の亀裂が走っている。 道路の中心やそばに下水管の工事をするとそこに亀裂や陥没ができるが、この地区は道路にマンホールが見えない。 それでも亀裂が無数に確認できた。


地震の波が押し寄せたのだろうか? それとも大きな地割れが出来、おお灸処置で、近くのガレキを入れたのだろうか? 定かではない。


大きな地割れが口を開けていた。 断層に沿って地震の波が押し寄せそれが亀裂を生んだのだろうか? 素人には分からないが。 面白い現象だ。


住宅内に落下した電柱の上に固定されているトランスが落下していた。 電柱が傾いたり倒壊したために頭の重い電柱は普通以上にバランスを崩して落下したのだろう。 PCBがもれなかっただろうか?


どの電柱に載っていたトランスかは定かではないがトランスの後ろの電柱のようだ


この交差点の電柱は完全に根元のコンクリートが破壊され中の鉄骨が顕になっていた 電線はすべて垂れ下がっていたが、停電で多分危険はなかっただろう。


この電柱は楔を打って緑地内でワイヤーで固定をしたのだが、次の大きな地震のときまた振動で揺れて楔が抜け傾いたそうだ。 その時の話では、最初の地震のときはこのような波状の亀裂はなかったらしい。


電柱は折れておらず振動で電柱の周囲がゆるくなり左右から引っ張られていたので力に負けて傾いたようだ。


周囲をよく観察するとこの右側に小川が流れ地震の振動は住宅街から小川に向かって振動が起きたようで、2本の川に囲まれた住宅街の土地は柔らかかったのではないだろうか? その振動は小川に向かって無数の地割れをつくり、土を押し出しているようだ。 同時にその振動は小川の対岸に横に亀裂をつくり振動がまだ伝わって、その波の上に立っていた大きな日本家屋が完全に倒壊してしまったようだ。


最初の地震でなかった無数の地割れが次の大きな地震で地表に地割れの現象を残したようだ。斜めに走るワイヤーは電柱に固定されていたが、楔が完全に抜けて役に立たなかってようだ。


電柱に使われた引っ張るための楔です。 このように地表が波打って亀裂がすごいです。 人生初めての経験です。


大きな亀裂は幅2,30cm深さも4,50cmあったかもしれません。 斜めのものは電柱を支えるワイアーです


道路の真ん中に走る大きな亀裂 舗装されていないと上の写真のような割れ目が見えたかも


これは芝生で覆われた子供のための小さな公園のようだが、こんなにひび割れが入るなんて誰が予測しただろうか?


工事に来た方々もびっくりして写真を撮っていた。 人間と比較するとf結構亀裂も大きいことがわかると思う


亀裂の幅は大人の人に1歩くらいかなこのシーンすごいと思う。 多分振動はこちらから川に向かって土地を揺さぶり開いた亀裂が土地を小川まで押し流し、護岸金網のフェンスを押し出し、対岸にも亀裂をつくり、振動が伝播しその向こうに立っていた日本家屋を完全に潰してしまったようだ。


子供のブランコ全くこれでは使えませんね。 凄いシーンだとおもいます。 ブランコの向こうに見えるのが頭の重みと振動に耐え切れず倒壊してしまった日本家屋


一つの亀裂を移してみるとこのように大きく深いものでした。 第二回目にここを6月8日に訪ねました。既に自治体が工事を頼んでいたようで敷地の修復を行っていて初期のシーンを見ることが出来なかった。 あすお見せしたい。


このフェンスは小川に子供が入らないためのフェンスだが、地震で川の護岸と一緒に壊れていた。


小川に向かった地震の振動が伝わり、無数の割れ目の延長が川に向かっての崩落だ。 これの大きな岩礁が南阿蘇村の阿蘇大橋周辺の土地に見られるのがまた凄い 似ています。


対岸のj日本式家屋の手前の斜面に大きな亀裂が2,3本走りこちらからの地震の振動で亀裂が出来、そして家屋を揺さぶり、完全に潰してしまったようだ。 当日は対岸に行くことができなかったが、工事の方に許可をもらって6月8日は対岸で撮影できた。


屋根の大きな瓦のたくさん乗った、伝統的な大きな日本家屋だが、頭の重さと振動に耐え切れずに完全に押しつぶされていました。


東北の大震災と比べて大変な仕事はまず瓦の撤去作業がボランティアの仕事だろう。 土のう袋に入った瓦の残骸、結構重かったです。 これらの仕事がまず、軌道に乗らないと仕事が中々進展しないでしょう。


これくらいの豪邸になると瓦は何枚くらい使用しているのだろう? ネットで調べてみたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿